【手足がふるえる】計量だけじゃない!ガラス製計量カップの素敵なポテンシャル

みなさま、ごきげんよう。脳性まひ歴40年、主婦歴18年目の楽歩です。

突然ですが、お宅では、計量カップを使ってらっしゃいますか?
それほど使わないけれど、なんとなく「ある」。 
一応「ある」けれど、なくても困らないアイテム…。
そんな存在になりがちな計量カップの「計量」する以外にも、便利な使い方を今日はご紹介していきたいと思います。

優秀なガラス製の計量カップ

ガラス製の計量カップは重たいし、うっかり割ってしまったら悲惨だし、置き場所にも気を遣うし、敬遠したくなりますが、見方を変えればめちゃくちゃ優秀なアイテムなんです!

私はアテトーゼ脳性まひの特徴でもある、「自分の意志とは無関係に手が動いてしまう現象」が頻発します。
そんな、お手手が不自由な主婦目線でいくと、何かにぶつけると割れてしまうガラス製品はできるだけ扱いたくありません。
そうはいっても調味料やドレッシングを作る際には、油やマヨネーズなども計量しなくちゃいけませんし、そうするとギトギトについてしまった油汚れが、サッと落ちるかどうかも大変重要なポイントになってきます。
そういう点では、やっぱりガラス製は魅力的です。臭いうつりも気になりませんしね!
なので私は、うっかり何かに当たっても割れにくい、分厚いガラスでできたパイレックスのガラス製計量カップを愛用しています。

この計量カップの魅力は、ギトギト系の計量に使えることだけではありません。
私は、卵焼きを作るときなどにはこれを計量カップとしてではなく、小さいボウル代わりに使っています。

卵をカップに割り入れて→溶いて→フライパンに注ぎ込む

絶妙な重さから来る安定感と、ガサツに扱ってもガッチリ握れる持ち手がある、その上注ぎ口までついているんですから、こうした作業はボウルよりもうんと楽ちんです。
 
 
パイレックス製ガラス計量カップの画像
 

電子レンジ調理にも大活躍!

パイレックスの計量カップのメリットは、【持ち手が熱くならず、中身も見えて、混ぜやすく、耐熱】であること。
これって、もしかして電子レンジ調理に最適なのでは?!と思いつき、試してみたところ…あら、めっちゃ便利!

お料理番組とかでは、同じガラス製でも、計量カップではなく、耐熱皿でお野菜の下ごしらえや、調理そのものをやっていくのがオーソドックスです。
しかし耐熱皿の場合、必ず両手を使って出し入れしなければならないでしょう?
そうすると、お手手の不自由な私は、もうお手上げ状態なのです。
しかも電子レンジ料理は、途中で取り出し、火の通りをよくするべく混ぜ合わせたり、具材や調味料などを加え再加熱…という工程を繰り返さなければならないことが多いので、耐熱皿で電子レンジ料理を作っていたときは、一品仕上げるのに、かなり大変な思いをしていました。
出し入れのたびに極度の緊張を強いられる上に、最悪床にすべてをぶちまけて終わる可能性も大いにある私には、リスクが高すぎたのです。


そんな状況から救いだしてくれたのが、このパイレックスの計量カップたちです!
少々の加熱なら持ち手まで熱くならず素手で持てますし、たとえ素手で持てないほど加熱しても、持ち手にゆとりがある設計なので、ミトンをはめたままでも、しっかり握れて片手でラクラク出し入れができちゃうんです。
もうこれは革命的!
 
 
ガラス製計量カップに電子レンジ用のお皿カバーを被せているところの画像
 
それから私は、パイレックスの計量カップにふんわりラップをかぶせたいようなときには、電子レンジ用のお皿カバーを逆さにかぶせています。ラップをセットするよりも手っ取り早いですし、経済的でもありますね!少々激しめの不随意運動が起こっても、意外に落ちなくて便利です。

不随意運動といえば、液体を扱うのが苦手な人の場合には、入れるものに対して少し大きめのカップを使うのもひとつのコツかも。こぼす心配が減って、よりスムーズに調理ができると思います。

あなたらしさが一番

今日ご紹介した「計量カップ」の使い方は、あくまでも「私の場合」のほんの一例です。
ただ、やっぱりパイレックスの計量カップは重いことは重いので、プラスチック製のものと使い分けをするといいですね。

計量カップに限らず、便利グッズが本当にその人に便利かどうかは、人によって様々です。
だから何をどう取り入れて快適に暮らしていくかは、本当に自由なものなのだと思います。

ときに計量カップよりも正確な、あなたの「さじ加減」で、より快適で楽しいライフになりますように!
 
 

 

この記事を書いた人

楽歩
楽歩
1978年京都生まれ。生後2週間で食道手術後に心肺停止状態に陥り脳性まひとなる。
7歳の頃から6年間ドーマン法(脳障害児が健常になり、健常児がより優れた能力を身につけるようにするためのプログラム)の訓練を実践。
18歳で働き始めると同時に水泳やドラム、英会話などの稽古ごとにのめり込み、語学留学で日本を飛び出すなど、活動の幅を広げる。
22歳で結婚、出産を経て、32歳の時に自身の半生を綴った自伝「三重苦楽」を出版。現在も自宅不在の不良主婦・母として、やりたいことに向かって日本中を飛び回っている。