昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

脳性麻痺者の大噴火

脳性麻痺者の大噴火

 
脳性麻痺者の加齢度は
健常者の方に比べて
早いとは聞いていた。

人によって異なると思うが
私がそれを感じるようになったのは
40歳を越えたくらいからだろうか。

それまでも色々と
老化と思しき兆候は有ったが
他人も同じだと思っていた。

ところが40歳を超え
仕事をしていると
やたら腰や首が痛くなり
仕事に支障を
きたすようになってきた。

その頃に初めて
整形外科という所の門を叩き
脳性麻痺者の二次障害という
言葉も知った。

衝撃であった。

少し四肢は不自由であるが
そのまま暮らしていけると
思っていた。

しかし、その年齢の時は
ある程度の仕事を任され
部下も何人か居た。

自分の痛さよりも
仕事を優先したのだ。

そのように自分を騙し騙しの時が
10年近く続いただろうか。

首は痛み続け
足を引きずりながら
歩いていた。

そこでやっと
今もお世話になっている先生に
頸椎専門の先生を紹介してもらい
初診の時に

 
「なんでここまで放っておいた」

 
と異常なほどの剣幕で怒られた。

 
「神経は一旦傷がつくと元に戻らない」

 
今は一触即発の状態だから
今のうちに対応しておかないと
歩けなくなるという事で

簡単(頸椎の手術としては一般的)な
手術を受けた。

この辺りの話は
「酔いどれ日記」でも
書いていたかも知れないが
ここでお伝えしたいのは

「脳性麻痺者って歳を喰う度に
体力は半減していく」

だから頑張りたい気持ちは
痛いほど解るのですが
その頑張りが思わぬ所で
大噴火を引き起こします
というお話でした。

私の大噴火はまだ続きますが
次回は嫁さんの大噴火のことを
お話ししましょう。

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。