昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

ヒロ 今日乙に出る

6月24日午後8時過ぎ
私は緊張しきった状態で
パソコンの前に居た。

優作さんの「今日乙」に
出る決心がついたのだ。

私を知らない人まで観れる
YouTubeにも配信される。

そんな事が私にできるのか?

「しゃべくり広場」や
「しゃべくり喫茶」は
もっさんと何回か開催した。

ほぼもっさんが
リードを取ってくれていたので
安心だった。

しかし、今回は優作さんは居られるが
上手く話せるだろうか?
皆からどう思われるだろうか?

という心配とは逆に
今やっとかないと
何も出来ない消極的なままで
終わりそうな気がしていた。

言語障害がある人間は
自分の言ってる事が
相手に伝わらないというのが
一番辛い。

私が小学校の時に
何故か生徒会の役員に推薦されて
校内放送で演説を
しなくてはいけなかった。

当然上手く話せるわけがなく
辿々しかったし
表情も独的な表情だった。

それを観た低学年の生徒たちは
ゲラゲラ笑ってたが
それを私の担任の先生が
1クラスづつ怒って回ってくれたらしい。

そんな、こんなで
人前で話す事から遠ざかっていたが
「みんらぼ」の活動を通じて
お話をするという事に慣れていった。

が、それは小さな内輪だけの世界であり、
YouTubeという開かれた世界にも
配信されるとなると怖気付いていた。

再々優作さんにも
誘われてはいたが
心は揺れ動いていた。

そして決めた。

「ありがままの自分で行こう」と。

それで笑いたかったら笑うが良い、
貶したかったら貶したら良い。

それをしなかったら自分は
一生悔やんで墓場まで
持っていくだろうと。

そして、その時が来た。
出来はどうであれ1つ山を越えれた。
   
これからもいろんな所で
顔を出すかもしれませんが
暖かく見守ってください。

よろしくお願いいたします。
 ヒロ

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。