昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

たかが一駅、されど一駅

たかが一駅、されど一駅

 
先日みんらぼメンバーのゆうさくさんが
吾の通勤スタイル
見事に再現してくれたので
だいたいご理解頂けたと思うが

吾から優先座席を使われる
健常者の方への
切実なお願いをしたいと思う。

 
吾が最近よく使う電車が日によって
座れる時、座れない時が
まちまちになって来た。

座れないときは優先座席の片隅で
つり革か棒を頼りに立っている。

心優しい方は吾を見つけると
電車が動き出す前に
席を立って代わってくださる。

しかし、大概はスマホに夢中か
見て見ぬ振り知らぬふりをされる。

「皆さんこれから仕事で
疲れに行かれるのだから」

と思っていたら
次の駅に着く前に降りる準備をされて
何事も無かったかのように
降りて行かれるのである。

 
その方は、吾の存在は判ってはいて

「次の駅では降りるから
一駅くらい辛抱してよ」

程度の事なのだろうが

我々にとってその一駅に費やす労力は
その方の何倍
いや何十倍なのである。

身体の不自由な当事者は
それが解っているから

身体の不自由なもの同士が
席を譲り合うという
奇妙な光景が発生するのだ。

 
あと、偶に電車が動いている最中に
「にいちゃん、ここ座り〜」と
声かけて頂くことがある。

しかし動いている電車内を移動することは
我々にとっては荒波に揺られる
小船の上を歩く様なもの。

感謝しながらも躊躇していると
「なんや、座らへんのかいな」と
座られてしまうのである。

 
人は自分を基準に考えてしまうが

ご老人、妊婦さん、
生後間もない子供さんを連れたお母さん、
怪我をされている方、そして
身体の自由が効かない方々を見かけられたら

躊躇なく電車が停車しているうちに
席を代わって頂けたら嬉しく思います。

吾からの切なるお願いでした。

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。