みんらぼ裏ブログ~だいたいみんなロクデナシ~
障害のある人ない人入り乱れて奮闘する「みんらぼ」づくりの裏話、実はそれが一番シゲキ的じゃね!? そんな思いをこめて、自称・健常者ゆうさくがみんらぼメンバーを笑いと涙でこき下ろす(?)、愛あるつれづれ日記

みんらぼでは健常者と障害者がかなり頻繁に入れ替わる

みんらぼには健常者のメンバーと障害者のメンバーが、だいたい半分ずつくらいの割合で在籍している。どう考えても障害ありメンバーの方が元気だ。何か言いたいし、何かしたいし、何かさせろという迫力を持って日々生命活動を行っている。こわい。

デジタル健常者 VS デジタル障害者

我々はふだんチャットワークというメッセージツールを使ってメンバー間のやりとりを行っているのだが、導入してしばらくの間、障害ありメンバーしかコメントを書き込まない時期があった。

なんとか健常(笑)メンバーにも書き込みをしてもらおうと各人が工夫をこらしたが、健常(笑)メンバーからすれば、どう猛なピラニアが水しぶきをあげている池に全裸で飛び込むようなものだ。着水した端から骨にされるかと思うと、迂闊なコメントはできない。

みんらぼでは「障害」のことを、「社会と自身の機能・能力のギャップで発生した不自由や不便」と定義している(「みんらぼって何?」参照)。そういう意味では、チャットワークのみんらぼグループは、障害者と健常者が入れ替わる場所である。

理由はよく分からないが、障害ありメンバーはみなデジタルツールに明るい。多少苦手な人でも「勉強します!」というパッションで乗り越えてしまう。

対して一部の健常(笑)メンバーは息も絶え絶えだ。チャットワークを導入して1年以上経つが、未だに連絡がついたりつかなかったりする人もいる。その理由も、「デジタルツールの使い方が未だに分からない」「メッセージを受け取ったが返信を忘れていた」「受け取ったメッセージに返信した幻を見た」など、バラエティ豊かだ。これを障害と呼ばずして何と呼ぶのか。

広く一般の世の中で障害者と呼ばれている人々が、みんらぼのチャットワークグループという社会の中では何の障害も感じていない。その人たちがデジタルツールが苦手だったり、単純に何を話せばいいのか分からない、障害者と並んだ時に健常者とされる人々に対して自分たちと同じレベルのコミュニケーションを求める。興味深い逆転現象である。

極悪電動車椅子愚連隊

みんらぼメンバー内では少し前まで電動車椅子の導入がブームだった。モデルのアコさんや所長のずずこ氏が、こぞって電動車椅子を入手したのだ。そこに元々電動車椅子ユーザーであったもっさんや楽歩さんなどが絡んで、大いにもりあがっていた。

これにより、2人の男が新たな障害と対面した。ひとりは、アコさんのご主人のヒロさん。もう一人は僕である。

いいかよく聞け。
電動車椅子乗ってる君らな、早いねん。

彼らは徒歩の人と一緒に同じ目的地を目指して移動している時でも、平気で電動車椅子を最高速度で運用する。ずずこ所長など、つい最近やってきた電動車椅子に初めて乗った時

 
「なんで速度設定の2と3がこんなに違うの。3だと早すぎるのよ。2.5がないと危ないったらないわ」

 
などとマシンの説明に来てくれていたお兄さんに散々文句を言っていたのに、もう速度設定は最高速度設定の”4”がデフォルトだ(「WHILL日記1 車いすライフ始めます♪」参照)。具体的に何km出ているのか忘れたけれど、早い。とにかく早い。少なくとも僕が歩く速度よりもずっと早い。ずんずん置いていかれる。なのにずずこ所長は前を向いたままずっと何か喋っているから、聞かないとと思って小走りになる。

いつか大阪に行った時、新大阪駅から某所のホテルまで道案内してくれたもっさんもそうだった。あんなフルスロットルの道案内があるか。肩で息をしていたら、一緒に東京からやってきたなるみさんがもっさんと並んでずんずん走っていった。当然彼女も電動車椅子ユーザーだ。お前ら、あの時のことはまだ許してないからな。

体を動かすことが好きな僕がこうなのだ。脳性麻痺があり、片手杖ユーザーで、電動になる前のアコさんの手押し車椅子を歩行器代わりにしていたヒロさんが、置き去りにされていないわけがない。

アコさんはつい最近

 
「電動車椅子に乗るようになって気持ちがすごく明るくなりました!」

 
と大喜びしていたが、かつて「手押しの車椅子は僕ら夫婦の第二の杖ですわ」と優しく微笑んでいたヒロさんは、元気にしているだろうか。

僕たちは健常者で、障害者で、ロクデナシ

くどいようだが、みんらぼの言う「障害」とは「社会と自身の機能・能力のギャップで発生した不自由や不便」である。

この論に立脚すると、一般的に健常者と呼ばれる人が、時と場合によっては障害者になるということが起こる。逆に、普段障害者と呼ばれている人が健常者の立場に収まることもある。

足を動かしづらいかもしれない。
耳が聞こえづらいかもしれない。
物覚えが悪いかもしれない。
メッセージを返した幻を見るかもしれない。
Zoom会議の度に誰かにツールをセッティングしてもらうサポートが必要かもしれない。

僕は自分の苦手な領域においては、そこに障害を感じる。だから脳性麻痺のあるずずこ所長やもっさん達に大いにサポートしてもらう。そして彼らの苦手な領域ではサポートをするように心掛けている。

世間様と同じ言葉を違う意味で使っているから、正直ややこしい。けれど、よかったらちょっと考えてみてほしい。僕らが普段顔を突き合わせ、言葉を交わしている相手は、健常者という人でも、障害者という人でもない。いびつで不器用でロクデナシの、一人の尊い人間なのだ。

そう考えをひとつ持っておくと、楽しく気楽に人と関われる時間が増えるんじゃないか。なんてことを最近考えている。

この記事を書いた人

ゆうさく
ゆうさく
1985年生まれ。和歌山県出身。健常者。物忘れがやや激しめ。子ども時代の家族は、共働きの両親と共働きの祖父母、あまり動けない曾祖母と無駄に動き回る2人の弟達という、8人の小さなダイバーシティでした。趣味は工作。段ボールと木材は夢のカケラ。部屋作りも大好き。いつか家をDIYするんだ。あと、シンガーソングライターもやってます。ジムで本格的な筋トレも始めました。チャームポイントは大腿四頭筋と大胸筋。