昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

《オヤジの酔いどれ日記》ギター遍歴

ギター遍歴|よいどれ日記

ハロー、ミュージック

吾(われ)がギターを始めたのは中学に入った頃だった。
今から45年ほど前であったが未だに満足に1曲も弾けない^^;

小学校の高学年の時にプロコルハルムの「蒼い影」という曲にぶっ飛び、
洋楽ばかり聴きあさっていた。
(ラジオとラジカセを布団の中に持ち込み
雑音が入らないように
お気に入りの曲を録音して聞いていた。
当時の言葉で「エアチェック」と言った)

レッツギター

中学に入った頃だと思うが
アルバートハモンドの「カリフォルニアの青い空」、
ロボの「片想いと僕」という曲で使われている
フォークギターの音に惹かれて
親に安いフォークギターを買ってもらった。
が、独学で弾ける自信もなかったので
必然的にギター教室に通うようになった。

そこでぶつかったのが
俗に言われる「Fの壁」と「アルペジオ」。
一日中、指にタコが出来るまで練習したが
出来なかった。
当時は四肢系麻痺なんて事は
頭の隅にも無かったし
練習が足りないだけと感じて頑張ったが
結局他の生徒について行けず、
ギター教室は辞めることになった。

ところが、ギターへの思いは逆にエスカレートしていき
吾はフォークギターをエレキギターに持ち替えて
相変わらずペンペンとやっていた。

昔も今も、これからも、ギター

高校に入り弟がギターを始め
あっという間に追い抜かれた。
それもギターとブルースハープ(ハーモニカ)を
同時に弾いていたのだ。

吾が3年間程かかった事を半年くらいで、
しかもブルースハープ付きである。

エレキギターに持ち替えたのと同時位に
同級生達と初めてバンドというものを組んだが
やはりギターテクニックは後発組に追い越されて
苦い思い出しか無かった。

でも、何故かギターをペンペンと弾くのは今でも続いていて
定年退職後に再びバンドを組んで
渋くブルースなんぞペンペンと楽しみたいなどと
企てていたりするのである。

★事務局追記★

ヒロさんが長年のギターライフの中で培った、
力みをコントロールしながら演奏をするテクニックについて
動画で解説してくれている記事もあります。
ぜひご一読くださいませ。
【手足が動かしづらい】意識した場所に力が入ってしまう時、その力を抜く方法

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。

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