昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

遠い昔

遠い昔|よいどれ日記

 
先日パソコンでYouTubeを観ていたら
高石ともやと言う
フォークシンガーの動画が
たまたま目に入って来た。

吾と同じ世代の方々なら
懐かしいオールナイトニッポン等の
深夜放送が全盛期の時にある
番組を担当していたのがこの
高石ともやとナターシャセブンであるといえば
ピンとくるかもしれない。

当時はまだフォークソングという
言葉が聞かれていた時代であり
中津川フォークジャンボリー
京都の宵々山コンサート等
イベントも沢山あった。

その中でも福井県名田庄村の
廃校になった小学校を借りて住居にし
自給自足の生活をして
仕事の時だけ京都に出て来ていたという
高石ともやというシンガーが
一番のお気に入りであった。

深夜放送では
仲間のナターシャセブンとのばか話とか
フォークソングの話とかで
布団の中で笑い転げていた事が
忘れていた記憶から蘇って来た。

歌は自作の曲も有ったが
アメリカのカントリーソングを翻訳して
歌詞にして歌っており
吾が一番好きだったのは
『陽気に行こう』という曲で
この曲に何度救われたことかわからない。

歌詞を紹介しよう。(原曲はアメリカの カーターファミリー の曲である)

『陽気にいこう』

喜びの朝もある 涙の夜もある 
長い人生なら さぁ陽気に行こう
陽気に行こう
どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は
解ってるのさ さぁ陽気に行こう

嵐吹き荒れても 望み奪われても 
悲しみは通り過ぎて行く 陽も輝くだろう
陽気に行こう
どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は
解ってるのさ さぁ陽気に行こう

美しい朝には 声をかけておくれ 
僕も歌いながら あいさつしよう
陽気に行こう
どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は
解ってるのさ さぁ陽気に行こう

恋は嬉しいもの 別れは辛いもの 
人生は長いもの 君は幸せもの
陽気に行こう
どんな時でも 陽気に行こう
苦しい事は
解ってるのさ さぁ陽気に行こう


詞・曲:CARTER ALVIN PLESANT・GARETT GARY・GEORGE DIXON
訳詞:高石ともや

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。