昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

同じ土俵で

同じ土俵で|昭和サラリーマンオヤジの酔いどれ日記

ペーパーと鉛筆とソロバン

ノートと鉛筆と定規の画像
吾が35年余り会社勤めを続けられたのは

周りの多くの方々の

支えが有ったからだと思っている。

プラスほんの少しの頑張り。
 
 
吾が会社に入った時は

全てがペーパーに鉛筆、ソロバンだった。

支店の係数等の集計表を作ろうと思えば

方眼紙に線を引くことから始まった。

今ならエクセルで数秒で出来ることが

何時間もかかった。

係数を鉛筆で書き、

ソロバンで合計するのだが

身体の緊張が強い吾にとっては

何回挑戦しても縦横計が合わなかった。
 
 

何かの達人になる

数年して

オフィスコンピューターなるものが導入されたが、

勿論誰も使いこなせないので

一番若い我に白矢がたった。

が、チンプンカンプンの吾は

担当部の社員を捕まえて

聞きまくって猛勉強した。
 
 
やがて、社内でも有数のパソコン使いの1人になった。

これで身体の不自由な障害者が

他の健常者の同僚と同じ土俵で仕事が出来るようになり

人事給与システムの構築に

半生を捧げるようになってしまった。
 
 
今は半生かけて構築したシステムは

影も形も無くなってしまって喪失感だけが残っているが

障害を持っていても1つ秀でたものを持てば

皆と同じ土俵で仕事が出来る事を

証明出来たと思っている。

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。