昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

脳性麻痺者の大噴火嫁さん版

脳性麻痺者の大噴火嫁さん版

 
前回の脳性麻痺者(私)の
大噴火に続いて
嫁さんの場合をご紹介しよう。

嫁さんも脳性麻痺者で
結婚当初は私と同じく
独歩ができていた。

少し歩き方がおかしいかな程度で
私より軽く思われても
おかしくは無かった。

ところが子供二人と家事は
彼女の身体には
重すぎる負担であった。

子供の幼稚園への送り迎えは
二輪自転車では安定が悪いので
三輪自転車で2年間続いた。

自転車はその他
子供の習い事等への
送迎にも活躍した。

そうこうしてる内に
腰痛が発症し体幹も悪くなり
杖をつくようになった。

そして大噴火の日はやって来た。

ある休日に二人で買い物をしていた時
知り合いが嫁さんに
呼びかける声に驚いて
(いわゆるびっくり反応である)
激しく転んだ。

その時から腰痛が激しくなり
1年位の間ペイン(麻酔)治療等続けたが
痛みは増すばかりであった。
診断は脊柱管狭窄である。

最終手段の手術に踏み切り
術後は杖で
歩けるようにまでなったのだが

色んな大人の事情で
予定していたリハビリ病院には行けず
違うリハビリ病院に転院させられた。
そうせざるを得なかった。

そこでのリハビリが合わなかったのか
症状は手術前よりも悪くなり

無理を言ってなんとか当初
転院するはずだった病院に入りこめたが
良くはならなかった。

結局車椅子状態で家に戻って
今は何とか歩行器を利用しての
生活ができるようになった。

脳性麻痺は人によって異なる。
だから専門病院が有るのである。

大人の事情とは言え
前述のような対応をされ無いように
皆さんも機会が有るなら
脳性麻痺をちゃんと理解した病院を
選んで頂きたい。

乱筆、長文で申し訳ありませんでした。
(感情が入りすぎました^^;)

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。