昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

吾が家に電動車椅子が来たぞ〜

吾が家に電動車椅子が来たぞ〜

 

吾が奥方は歩行器を中心に
補助具として使っていて、

遠出や長距離の歩行が必要な時は
手動車椅子を家族の補助を得て
使い分けている。

 
結果、
奥方の行きたい所(一人で行ける所)は
限られていた為、

前から電動車椅子への気持ちは
有ったみたいだった。

 
しかし
電動車椅子の便利さを知ると
歩かなくなり
筋力が落ちて

歩けなくなったという話を
リハビリの先生等から聞いていたので
吾の中でも迷っていた。

 

段々と歩行器での歩行も
おぼつかなくなって来たのと、

 
「自分でもっと好きな所へ行きたい!」

 
と言う強い希望で
電動車椅子を
導入する事になった。

 
奥方は時々
車を運転していたので

操作さえ覚えれば
感覚を掴むのは
早かったようである。

 
吾も試しに乗ったが
楽チンで

これを使って会社に
行きたいと思ったほどである。

 
この連休の間に
天気も良いので

練習がてらに
奥方は電動車椅子、
吾は杖で散歩に出かけた。

今までは吾が
手動車椅子を押して
補助具代わりにしていたのだが、

奥方は電動車椅子で
快適にぶっ飛ばして、

吾は杖でおっちらおっちら
ついていくと言う構図に陥った。

 
約30分の行程であったが
吾はヘトヘトで

足腰が限界に来ていたが
奥方は涼しい顔で大丈夫?と
声をかけてきた。

今までと全く逆じゃないか!

 
はてさて
車椅子にて外出すると

なんとも付け焼き刃的な
バリア有りーな都市計画を
しているものかと
腹立たしく思える。

 
その一つが
歩道は何故車道より
一段高くなっているのか?
ということだ。

昔ながらの
街だけかも知れないが

吾が家の近くは
たいがい歩道が
車道より高いので
車が出入りしやすいように
斜めに傾斜をつけている。

 
それが
車椅子とかベビーカーを
押している者にとっては
難所で有る。

車道と同じ高さにすれば
車道と歩道の境のブロックだけで
良いのにと思うのは
吾だけであろうか?

 
他にも
スロープのある歩道を
選んで進んだら

その先は10センチ以上の
側溝が有って

歩道から降りれなくて
引き返したり・・・

???
と思うところが
何箇所か有った。

 
と言う訳で
いろいろボヤいたが
念願の新車を手に入れた
奥方であったのだ。

 
追伸
その日の夜
奥方から出た言葉

 
「私、働くから!もっと社会と関わりを持ちたい!」

 
はて
どうなっていきますやら。

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。