もし
もし神様か仏様 に
吾(われ)の障害のうち
(手の使いづらさ、足の使いづらさ、言語障害)
1つだけを治してあげましょうと言われたら
迷わず言語障害をあげるだろう。
交換条件に
足を1本捧げなさいと言われても
惜しくは無い。
それくらい吾は言語障害に苦しんだ。
上司より怖い”電話”
吾が社会人になった頃は
パソコンなんてなかった。
ましてやメールやチャット、LINEも無く
唯一の通信手段は電話であった。
言語障害(言語不明瞭、吃音)のある吾にとって
電話はカンシャク持ちの上司よりも怖い存在だった。
できる限り電話は取ら無い、
かけ無いようにしていたが、
誰も居ない時や
此方から伝えなくてはいけない時には
勇気を振り絞って受話器を取った。
が、相手は吾の事なんて知る由も無く
「何を言ってるのかわからない!誰かに変われ!」
と言われたり
電話を取って伝言を聞くのに焦ってしまって
書き損じてしまったり
電話をかけても
不審者からの電話と思われ
切られたりした。
もうすぐ退職を迎えようとする今でも、
吾のことを良く知っていてくれる方々とは
何とか電話で話せるようになったが、
知らない先に掛ける、
電話を取ると言うことは
必要最小限にしている。
電話だけでは無い。
対人関係においても
仕事上でお話をする場面も多々あるが
発言に関しては電話と同じく
最小限にしている。
ただ、言わなくてはいけない事や自分の考えは
どれだけ時間が掛かろうが
相手に伝わるまで話した。
天に向かって
社会人の吾にとって
コミニケーションは不可欠なものである。
そのコミニケーションに欠陥があると言うことは
相当に不利な事だし
吾にとっても相当のストレスであった。
皆の様にスラスラと話せたら
もっと仕事が出来ただだろうし、
スラスラと電話が出来たら
他人を頼らずに肩身の狭い思いを
せずにすんだだろう。
が、反面そんな吾が伝えたいことや
言いたい事を一生懸命
理解しようとして下さった方々もいたし、
吾の意見に対しても評価をくださった方々も
沢山おられたが、、、、、
それでも、やはり今でも常に思っている。
天に向かって願っている。
治してください!!と。
この記事を書いた人
- 1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。
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