昭和サラリーマン親父の酔どれ日記
昭和生まれで親父で障害者のヒロが、35年余りのサラリーマン生活を振り返るライフログ的ブログ。障害を持ちながら一般就労の社会人として長年勤め上げてきた背中が語る「あの日、あの時」。<br />一献傾けながら、しみじみ噛みしめてまいりましょう。

お初にお目にかかります。

お初にお目にかかります|昭和サラリーマンオヤジの酔いどれ日記

皆様方、初めてお目にかかります。ヒロでございます。

訳あって本名と顔は伏せさせて頂きます。

この、「みんらぼ」でも(みんなのちえワザ)数本出演させて頂いておりますが残念ながらモザイクだらけとなっています。

「モザイク=イヤラシイ」とお思いのご同輩!ご安心ください。

モザイクの下には普通のオッさんの顔が有りますので。
 
 
私がこのプロジェクトに参加させて頂いた経緯は話せば長くなりますが、

我々夫婦(恥ずかしながら嫁と二人の成人した子供がおります)の近くには

子供さんが障害を持っておられる方は多くおられましたが、

本人が障害者の方がおられなくて、

「皆さんこんな時どうされているのだろう???」

と?マークの日々を送っていました。
 
 
ある日、ネットを見ていると我々と同じ脳性麻痺をお持ちで、

かつ子供さんも育てておられる方のブログが目に入りまして

瞬間的にこの方とお知り合いになりたい!と言う思いで

Facebookの会に入れて頂き

アレよアレよとお知り合いが増え現在に至る

というのが経緯でございます。
 
 
本題に入りまして、

この活動を共にさせて頂く中で

障害を持ちながらサラリーマン生活を35年余りさせて頂いた訳ですが、

その日々は決して平坦なものではありませんでした。

倒産の危機もありましたし合併もありました。

そのような過酷な環境の中で私の様な障害を持ったサラリーマンが

どの様に思い、どの様に行動したのかを赤裸々に綴って行きますので、

今現在で障害をお持ちになりながらもサラリーマンとして、

またお父さんとして、良き夫?(私は違いますが)として

活躍されている若い方々に

ほんの少しのヒントになれば嬉しいです。
 
 
基本的には私からの発信となりますが、

このブログを読んで頂いて下さっている方々の問いにも

できる限りお答えするつもりですので宜しくお願いいたします。
 
 
最後になりましたが、体調、仕事等で

更新期間が空いてしまうかもしれませんがご容赦ください。

この記事を書いた人

ヒロ
ヒロ
1960年の高度成長期真っただ中に生まれ、障害が有るから人の2倍3倍頑張りなさいと育てられ現在に至る。
アテトーゼ型脳性麻痺2級保持者。
趣味はギターにパソコン(何台作製し分解したかわからない)、とアマチュア無線。
アマチュア無線はインターネット、携帯電話が普及した中で、どれだけ小さな出力でどれだけ遠くに電波を飛ばせるかに情熱を燃やすちょっと変わった人。
真夏に極寒の南極昭和基地と交信できたのは印象的だった。